七月七日は七夕の節句です。七夕のお祭りは桃の節句や端午の節句と同じ、五節句の一つです。街にくり出せば、いろいろな場所で青々とした笹竹に色鮮やかな短冊が下げられた光景を目にすることも多いでしょう。
そこには人それぞれの願い事が書かれています。
中国、韓国、台湾、ベトナムなどでも夏の行事として親しまれている様ですが、短冊に願い事を書くのは日本独特の風習だそうです。
今回のブログではそんな七夕の歴史について綴ってみたいと思います。
1.七夕の由来
七夕は「しちせき」とも読み、七月七日の夕方という意味になります。
夏の宵に夜空を見上げると、天の川に隔てられた彦星(わし座のアルタイル)と織姫(こと座のベガ)が年に一度出会えるというロマンチックな情景が浮かびます。
これはもともと中国の民話から生まれた伝説です。
織姫は絹を織り、彦星は牛を飼いますが、これはいずれも古代中国では大切な仕事とされ、これを怠るなという戒めの意味が込められています。
日本では奈良時代から行われた習慣で、江戸時代になると庶民にも広まり、今も続く伝統行事となりました。
2.織姫と彦星の物語
天の川を隔てて西に住む織姫と東に住む牛使いの彦星は、織姫の父である天帝(てんてい)のすすめにより結婚することになりました。
夫婦仲良く円満に暮らす二人でしたが、その仲の良さのあまり仕事をおろそかにする様になってしまいました。
神々の衣を織っていた織姫が機織りを怠けるので、神様の衣はボロボロになり、彦星が牛の世話を怠けるので、牛はやせ細ってしまいました。
二人の堕落ぶりに激怒した天帝は、織姫と彦星を天の川を挟んで引き離し、お互いの姿を見ることもできなくしてしまいます。
すると、今度は悲しみに明け暮れて働くことすらできなくなってしまいます。
あまりに不憫に思った天帝は、以前のように一生懸命に働くのであれば、年に一度七夕の夜にだけ二人の再会を許しました。
それからというもの織姫と彦星は七夕を楽しみに、心を入れ替えて以前より増して熱心に働くようになったそうです。
3.七夕飾り
古くは「一日の始まりは日没である」という説があり、七夕は七月六日の夜から七日の早朝にかけて行われる神事でした。七夕飾りも六日の夕方に飾るものとされます。
また、短冊や飾り物、吊るす糸などは、古代中国の陰陽五行説に基づき、赤・青・黄・白・黒の五色を使います。
七夕飾りはとても綺麗な装飾が施されますが、飾りのそれぞれに願いが込められています。
笹竹
天にまっすぐ伸びる笹竹に短冊を結んで、願い事がまっすぐ天に届きますようにとの意味が込められています。また、力強く成長する筍(たけのこ)の姿から、竹は生命力の象徴として七夕飾りに用いられてきました。
短冊
江戸時代に行事として庶民にも広がると、願い事を書いた短冊を笹に吊るすなどして楽しんだのが現在にも伝わっています。六日の夜に短冊を飾り、七日に川や海に流すのが風習でした。
七夕はもともと機織りや裁縫の上達を願う行事であったため、願い事は習い事の上達にまつわるものが良いとされています。
折り鶴
長寿の象徴である鶴を折り紙で折り、長生きを祈願したものです。
昔は家族の最も年長者の年の数だけ折って飾っていたそうです。
吹き流し
織姫の織り糸を象徴し、くす玉などに五色の織り糸を垂らした形をしています。
織姫にちなんで機織りや裁縫の上達を祈願したものです。
くずかご
七夕飾りを作る際に出た紙くずを織り紙で折ったかごに入れて笹に吊るします。
整理整頓や倹約の戒めを表しています。
巾着(財布)
金運の上昇を願い、折り紙を財布や巾着の形に折って飾ります。折り紙ではなく、本物を飾ることもあります。また、巾着は口が紐で結ばれていることから、無駄遣いを戒める意味もあります。
紙衣(かみごろも)
紙で作った人形、もしくは着物を飾ったものです。裁縫が上達し、斬るものに困らないようにという願いが込められています。また、人形に災いや穢れの身代わりになってもらうという意味もあります。
網飾り
魚を捕る漁網を表し、大漁を祈願したものです。
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