光雲神社の神主6月23日アマテラス(天照大神)アマテラス イラスト:アートモチダダイスケ 日本神話に登場するアマテラスは、イザナギが禊(みそぎ)をし左目を洗った時に生まれた太陽神であり、皇室の祖神であります。 禊とは清流で穢(けが)れを洗い流す神聖な行為で、同じように生まれた神々として鼻を洗った際に産まれたスサノオ、右...
光雲神社の神主5月14日名槍日本号戦国時代の主要な武器の一つである槍。数多くある槍のなかでも「天下三名槍」と言われる三本の高名な槍があります。 江戸時代に「西の日本号(にほんごう)、東の御手杵(おてぎぬ)」と並び称されていた二本に、いつしか「蜻蛉切(とんぼぎり)」も加わり、明治時代からは天下三名槍と呼ばれる...
光雲神社の神主2022年9月30日日光一文字黒田家に伝来する家宝のなかに「日光一文字」という太刀があります。刃長は二尺二寸四分(67.8㎝)ほどで刀としては短いながらも荘厳な姿をしています。鎌倉時代中期に備前国福岡一文字派の刀工によって作られた極めて優れた太刀です。...
光雲神社の神主2022年7月3日七夕 たなばた七月七日は七夕の節句です。七夕のお祭りは桃の節句や端午の節句と同じ、五節句の一つです。街にくり出せば、いろいろな場所で青々とした笹竹に色鮮やかな短冊が下げられた光景を目にすることも多いでしょう。 そこには人それぞれの願い事が書かれています。...
光雲神社の神主2022年6月18日「おみくじ」の引き方神社に参拝した時は、おみくじを引いて、その結果に一喜一憂するのを楽しみにされている方も多いでしょう。おみくじは神社に参拝する楽しみのひとつですよね。 おみくじを引いて、誰もが最初に注目するのは「大吉」や「中吉」といった吉凶のところ。吉凶だけを見て境内に結びつけてしまう方もい...
光雲神社の神主2022年6月11日黒田二十四騎黒田二十四騎とは、黒田官兵衛、長政を支えた家臣団で特に功績を残した二十四人の精鋭のことを呼びます。 戦国の世では個の力でのし上がった武将も多かったなかで、官兵衛は極めて優秀な家臣団を作り上げ、長政の代に至るまで黒田武士という強力な組織体制を築きました。...
光雲神社の神主2022年6月1日衣替え六月一日は衣替えの日です。四季のある日本には古くから根付いている文化ですが、いつから行われているのか、その由来や歴史を考えることはあまりないかも知れません。 衣替えの歴史は意外と古く、平安時代にまでさかのぼります。 平安時代には年間を通じて二期に分け、四月一日から夏装束に、...
光雲神社の神主2022年5月22日へし切長谷部イラスト アートモチダダイスケ 日本での「刀剣」とは武器としてのみならず、古来の伝統美術品として、また神秘的な霊が宿る信仰の対象としても崇められてきた特別な存在といえます。 また、古くから伝わる刀剣や武具にはその謂れや持ち主にまつわる壮大な物語が隠されているものです。歴史フ...
光雲神社の神主2022年5月14日狛犬について(光雲神社境内の狛犬) 神社の参道や拝殿でよく見かける狛犬ですが、神社では当たり前のような存在で、ついつい見過ごしてしまうことが多いかも知れません。 実は光雲神社の狛犬は一般的なものと比べて、少し変わったところがありますが、ご参拝された際にお気づきの方もいらっしゃいますでし...
光雲神社の神主2022年5月10日黒田家のルーツ(黒田重隆公、職隆公を祀る光雲神社摂社の堅盤神社) 近江の琵琶湖北東に賤ケ岳(滋賀県長浜市)という山があります。 ここは歴史ファンの方々には馴染み深い、天正11年(1583年)に羽柴秀吉と柴田勝家による決戦が行われた「賤ケ岳の戦い」の戦場です。...
光雲神社の神主2022年5月2日黒漆塗桃形大水牛脇立兜目次 黒漆塗桃形大水牛脇立兜 大水牛兜の由来 仲直りの証として 幸運の兜 1.黒漆塗桃形大水牛脇立兜 黒田長政が愛用し、黒田家のシンボルのような存在の「黒漆塗桃形大水牛脇立兜」。 大水牛脇立の周高は約75センチもある立派なものですが、根本のみ桐製で作られており、美しい形状で...
光雲神社の神主2022年4月28日オオモノヌシ(大物主)オオモノヌシ イラスト:アートモチダダイスケ 光雲神社の末社荒津神社にお祀りされているオオモノヌシは、大和国豪族の三輪氏(大神氏、大三輪氏、神氏)の祖神であり御諸山(三輪山)の上に祀られる神で、本当の姿は蛇神であるともいわれます。...
光雲神社の神主2022年4月26日光雲神社の武具・宝物について光雲神社では来年(令和五年)に黒田長政公四百年祭を催行いたします。 さかのぼること今から百年前の大正十一年(1922年)に「長政公三百年祭」が盛大に行われたことが当時の福岡日日新聞(現在の西日本新聞社)に掲載されています。...
光雲神社の神主2022年4月22日荒戸山東照宮現在の西公園の地は、かつて「荒津山」あるいは「荒戸山」と呼ばれ、埋め立てが進む前には博多湾に突き出した小高い丘となっており、当時から海を望む風光明媚な場所であったそうです。 このような万葉歌碑も残されています。 「神さぶる 荒津の崎に 寄する波間無くや妹に 恋ひ渡りなむ」...
光雲神社の神主2022年4月19日榊(さかき)について光雲神社境内には「榊」が植えられています。 この「榊」は神社の神事には欠かせないものです。 神道ではあらゆるものに神や魂が宿ると考えます。 1年を通して緑の葉をつける常緑樹の「榊」は神の恩恵を受ける植物として、「栄える木」「栄木(さかき)」と呼ばれ神聖視されてきました。...
光雲神社の神主2022年4月13日日本を建国した神武天皇神武天皇 イラスト:アートモチダダイスケ 神武天皇はカムヤマトイワレヒコ(神倭磐礼比古命)とも呼ばれ、日本を建国した初代天皇です。 光雲神社境内末社である荒津神社の御祭神として、倭の神様である大物主神(おおものぬし)、仏教の海の神、船の神である金毘羅神(こんぴらしん)と共に...
光雲神社の神主2022年1月25日鳥居について鳥居は神社では必ずと言っていいほどあります。 鳥居は神社を表示し、また神社の神聖さを象徴する建造物であり、神社の内と外を分ける境に立てられ、御神域と外を区切り御神域を護る役割もあるとされます。 その為、本来、参拝する際は、『鳥居をくぐる前に一礼し、帰りの際も鳥居をくぐってか...